カテゴリー
Uncategorized

5月9日 茶をしばく

友人から Zoom 飲みをやってみたいから、茶をしばいてくれ(原文まま)とメッセージ。お互いにお酒を飲まないのを知っているので茶としたのだろう。いま誰かと話ができるのは、それだけで心に効くかもしれないので、すぐにOKのメッセージを返す。

どんなふうに暮らしているのか。仕事の状況はどうか。この状況になってはじめたことなどを話した。途中から旦那さんも参加してくれて私とあわせて3人に。あとでもう一人参加できることになって、夕食のための小休憩をはさんで、4人での二部構成に。合わせて3時間ほどの Zoom お茶会だった。

バーチャル背景で遊んでみたり、後ろに映り込む部屋の何かをトピックにしたり、ビデオ通話のレベル1をみんなでやった。それから、何日か前に Discord を使ったことで Zoom の音と映像のレートが低いことが気になった。通信環境の良くない状態のアカウントからは、映像も見ににくく、音もサンプルレートが低いものが流れてきて、聞きにくい。少しの工夫でストレスはだいぶ減るように思う。

毎日日記を書くのは、トレーニングだ。記事を書くのとは、使う筋肉がちがう気がする。

カテゴリー
Uncategorized

5月8日

気づけば機会のある知り合い皆に、日記がおもしろいと話している。

ほどほどに共感はあるだろうとどこかで見積もっているらしく、見通しと少しちがうトーンの「そうなんだー」の声に僅かながら体がこわばる。Mac 越しにそのこわばりは伝わっていないだろうけど。一通り話せば、自分も書けばいいよと勧めてもらうのだが、私はたった1日前の昨日のことをおぼえていない。一瞬の断片は残っているけれど、それはいつにでもありそうな光景で、昨日だけの特別がないように思える。なくていいし、それでも書きはじめればどこかに転がるのだとは思うのだけど。記事はたくさん書いてきたが、日記はほとんど経験がない(10年くらい前に「日刊こたま」というのはやった。記憶があるならかなり古いフォロワーだ)。それよりも1日前のことすら断片の記憶しか残らないことのほうが身体的な心配をしたほうがいい気がする。

ラジオ収録にゲストで来てくれた知り合いの話が、考えていた感覚と通じるなと共感した。

今はnoteとかもそうですけど、当事者しか物を言えないみたいな雰囲気があって。当事者性が強いコンテンツ=最強みたいな。そうすると書き手は大変な経験をしなくてはいけなくなっちゃうんですよ。それっていいっちゃいいけど、そういうものしかないとヤバい方向に行く気がしていて。そういう大変な経験じゃなくてもっと日常的ななんでもないようなことを書きたいって気持ちなんですよね。劇的な物事が起きた当事者しかその何かを語れないみたいな状況があるような気がしていて、私もエッセイ書いてたりするので、それはやり方のひとつにしたいんです。

彼女は事実を持った当事者性と作りものを混ぜたエッセイまたはフィクションの違いを起点に話したのだけど、私が共感したのは「劇的な物事が起きた当事者しか物を語れない状況だ」という部分だった。肩書きや会社の名刺のような社会的なタグや、特別な処遇のもとでしか発言が許されないかのような雰囲気が、そのタグのない、またはタグを外したタイミングの、まっさらの個人であることを否定されているような印象を受ける。この、タグを取り払ったまっさらな個人=「ただ私である」ことおよびその発信が、仕事や家族のあり方を改めて見つめなおされている新型ウイルスによって大きく変えられてしまった人間社会においての状況や、生きていく上でまっさらな個人が存在承認を得ていくためのコミュニケーションの方法において、ベースレベルで大事なことになっている。そして、このことこそが、私が日記に興味を持っていることとへの3点での交差点なのだと気づいた。日記に興味を持ちはじめたのは去年からだが、このタイミングで奇遇な結びつき方をしたものだ。

さて、そろそろお昼ごはんを食べないと。

カテゴリー
Uncategorized

望遠レンズ

日記に惹かれているのには、わたしの好みもある。

ここ7,8年くらい前だろうか、ていねいな暮らしというのが流行ったことがある。日の当たる落ち着いた部屋に、観葉植物やお気に入りの食器、ナチュラルな雰囲気とオーガニックな食事、それと自分だけの小物を飾る、みたいなやつだ。揶揄してるわけではなくて、ていねいな暮らしの言葉だけが確かなのだけど、その実態が掴めていないので、ふわっとしているだけだ。そういう、暮らしや日常を大切に思う気持ちというのは、どちらかと言えば好きなのだ。

部屋に差し込むひかりのつよさ、拡散の具合、階調はどれくらいか(いいひかりは、大抵の場合3分もすればなくなってしまう)。HomePod から haruka nakamura のミュートピアノソロを流す。自分の焦点距離が標準から望遠あたりに切り替わり、部屋の一角を切り取る。いい絵がみえたからカメラで同じように撮ってみる。アプリで注文したお花の定期便が届く。さっき書いたいわゆるていねいな暮らしほど豊かではない。けれど、よそ行きではない自分の部屋のあれこれが、カメラで切り取ったようなイメージになる。そういう瞬間はわたしの生活にもある。

でも、昨日書いた DPZ の古賀さんの日記のような、家族がある、とくにお子さんがいる生活には敵わないなあと、それを見るレンズが望遠になる。そう敵うことを望んでいるわけではないのだけれど。

自分でも日記を書いてみようかなと思うものの、ずっと家にいて、仕事をしていないわたしは、会話の量も少ない。人と話すのは、週に2度か3度くらいのものだ。いつか喋り方を忘れるんじゃないかと言いたくもなる。それでもそのうちに書けることも出てくるんじゃないかと思っている。

書くのは得意じゃないけど、好きになれそうな気がしている。

カテゴリー
Uncategorized

まばたきする体

日記に興味がある。

その人の無垢なまなざしを側からみられるブログが好きなのだけど、同じ理由で日記も好きだ。

DPZで編集をしている古賀さんのインタビュー記事を読んだ。

古賀さんは、はてなブログで毎日書く日記をつづけている。それについてのインタビュー記事だ。

日記をはじめたきっかけもふんわりしていれば、原動力もひとつもわからないというのに、すごく共感する。私もそうだったからだ。

どんなふうに書いているか、どんな工夫をしているか、はてなスターが励みになる。そういうことも書かれている。はてなの編集の方がやさしくはてなブログのアピールをしているさじ加減が素敵。

いくつか共感したところ

ブログといえばはてなブログ一択みたいな世の中になっているのを感じ

知らない人が「起きて寝てめし食った」という暮らしのことだけの文章を、びっくりするくらい多くの人に読んでいただけて、支持してくださるということに本当に驚いて、すごいことだと思ったんです

WebサイトやWebメディアがなくなっても、その「人」は生きているんだろうなって思っています

古賀さん、お会いしたのは一度や二度くらいのものだけれど、インターネットで生きてる感じが、昔からのそれと地続きですばらしい。わたしもずっとそうでいたい。「まばたきする体」、ブックマークしてまいにち読もうと思う。

カテゴリー
Uncategorized

引き出し

インターネットから感じること、遊んでいるゲームの感想。そういったことは、すらすら言葉がでてくる。

でも、母親と話せることの引き出しを、ぼくはいくつ持っているだろう。

母親じゃなくていい。一市民としてこの世界に暮らしているだれかに、ぼくが話せることが、どれくらいあるだろうと考えを巡らせると、レパートリーの少ないレストランみたいだ、と思う。

前にこのブログに書いた、固形のジャムが苦手だという話。あれは、ちょうどいい気がする。

***

Aimer で「悲しみはオーロラに」。

カテゴリー
Uncategorized

FF7 雑感

『デス・ストランディング』のあと、A さんにおすすめされた『スーパーマリオ オデッセイ』をやろうと思っていた。ぼく自身も興味があって、ダウンロードして少し遊んだものの、そのままになっていたのもあり、ちょうどいい。

なのに、リメイクが発売される『ファイナルファンタジー7』に手を出してしまった。FF7R には期待をしているので、オリジナルを復習しておかないと。リメイクは4月10日に発売されるので、その前にやっておきたかった。無事クリアしたので雑感。

オリジナルで素晴らしいのは、人形みたいな少ないポリゴンで描かれたキャラクターの動かし方に、その人物の個性がみごとに活きているところだと思う。なんとかかんとか動かしてお芝居をさせているようにも見えるのだけど、じんわり愛らしい気持ちになる。細部を描かずとも、人物像が表現されている。

台詞は短くシンプル。状況をわかりやすく進めるものが多く、制作時にそういうことが意識されていたのではと思う。当時はゲームに録音した声が入っていったころだったが、FF7 はボイスなし。モーションの演出に比べると、言葉での人物描写には、少し物足りなさを感じた。

これらの演出法とは別に、ストーリーの違和感として、主人公クラウドの、ティファとエアリスとの関係性は、より厚く描くべきだったのではと思う。物語の後半では、この女性2人との関係性が、メインの物語上でも、クラウドの気持ちの上でも重要な位置づけになっていく。しかし、物語上それほどの位置づけで扱えるだけの関係性を描く土台づくりが足りなかったように思う。

ティファは幼少期わずかに関係性があったにせよ、旅のあいだでそこまで急接近するようなできごとも描かれていない。にも関わらず、自らの身の振り方を変えるほどかなり献身的にクラウドのことを支えるし、ほかの仲間に見られたらのたうち回るほど恥ずかしがるくらいにはクラウドといちゃいちゃする。エアリスに至ってはあたかも正統派ヒロインぶってはいるけれど、実のところの言動からするとけっこうな小悪魔系で、あざとい TBS アナウンサーポジションなんじゃないかと勘繰ってしまう。まあ、その言動も、彼女が自らの置かれた運命にあらがおう、立ち向かおうとする強い気持ちの現れだったんだと括ってしまえは、する。よし、エアリスはよしとする。

言いすぎた。

リメイク1作目では、オリジナルの物語でいうミッドガル脱出までが描かれるという。本作のディレクターは「本筋は変えていない」とは言うものの、おそらくエヴァの新劇場版のように大胆に変えたほうがおもしろくなることはわかっていると思うし、オリジナルののちに発売された関連作品からオリジナルに還元される部分も出てくるだろうこと、すでにわかっているだけでも新しいキャラクターなどが出てきたりと、オリジナルからの差分は大きい。

僕がプレイしたところ、オリジナルでミッドガル脱出までにかかった時間は、4時間30分だった。もちろん復習せずに遊ぶもよしだが、差分を楽しむというのもリメイクならではの楽しみ方ではないだろうか。

カテゴリー
Uncategorized

ラジオ

午後、代々木のコワーキングスペースに行く。音声配信に興味がある知り合いに、わたしがポッドキャストをどう収録しているかのデモをかねて3時間ほど雑談。

stand.fm や Radiotalk などの喋りを主軸にした音声配信のプラットフォームが爆発の機会を今かいまかと鋭い目で見ている気がしている。先行者利益が欲しいひと、トレンド感を纏っていたいひとが参入していく時期で、興味を持つひとも増えていると思う。音声配信に波がうつのは、試行回数が増えれば何か生まれる、くらいの雑な期待みたいなものはある。けど、わたしはわたしでオープンなポッドキャストをつづけたいと思う。

わたしのいつものスタイルでやってみたあと、提案させてもらってその人に合いそうなスタイルに変えてやってみたところ、手応えがあった。そのひともそれは感じたようで、アイディアが湧き出てくるよと LINE でお礼をもらった。協力した甲斐があった。なにかがはじまるときはうれしい。わたしの番組「fragment(フラグメント)」 ではないところで公開されるかもしれない。

ラジオは聞くのも好きだけど、いちおうの専門家として何度か出演させていただいたことがある(6,7回くらい?)。喋ることが誰かの役に立つなんて、わたしにとってはいくらでもやりたいと思える。お喋りするのは好きだから、ミーティングも嫌いじゃないし、ポッドキャストだってやってる。このままつづけたいと思う。

ポッドキャストじゃなくても、何かやってみたい方がいたら協力できるかもしれないので、お声がけください。

金沢に旅行したときのことが書けていないのが気になっている。小涌園じゃなくてなんだっけ、(ググってから)兼六園だ。それと21世紀美術館、近江町市場、東茶屋街あたりを巡った。おすすめしていただいた鈴木大拙館は、建物の前まで出向いたものの、まさかの休館日。調べていかなかったのがよくなかった。ひとりの旅行はわたしはあまり楽しめないから、行くならだれかとだね、と毎回思う。

カテゴリー
Uncategorized

金沢

先月、金沢にひとり旅行へ行ったのだが、ひとりで勝手に行って、勝手に帰ってきただけだった。

まず、いい宿泊先がみつからない。これほどインターネットが浸透して、旅行のサービスがあるのに。

たいていは、ただホテルや旅館を、値段とあわせてリストにしてくれるだけだ。ときどき「こんな旅行はいかがですか?」ってかんじに疲れを癒す温泉旅を都会ではたらく女の人向けに提案するコンテンツを置いていたりもする。けど、そこにあたしの欲しい旅行はない。

さがしていてわかったのだけど、たぶん、たいていのひとは、自分がどんな旅行に行きたいかなんて、持っていないのだ。どこかで見たか聞いた、もっともらしい旅行を、旅行として考えていて、それに沿って物事を決める。

あたしが欲しかったのは、内湯のあるちょっといい旅館の部屋と、インターネット接続と、ふかふかの布団と、おひとりさまをいい感じにしてくれる食事がたべられる場所。一泊2万円か3万円くらいで、本を読んだり、気が向いたらお風呂、できれば温泉がいい、その温泉に入って、あがったら浴衣を着て、脱衣所のところにコーヒー牛乳が売ってて、ただそれを買って飲むだけなのに、自分にとってはアドベンチャーかのようにどぎまぎして買って、「うー、うまい!」とやる感じの。書いて気づいたけどお風呂あがりのコーヒー牛乳は、温泉じゃなくて銭湯か。まあいいや。で、部屋にもどってきてツイッターをながめてぼーっとするのだ。できれば、写真の一枚くらいはツイートして、旅行を満喫してる感くらいは出してもいいとも思う。

そんなのが欲しかった。が、そんなのは、みつからなかった。旅行業界っていうのは、家族か、シニアか、2〜4人くらいの女性たちしか相手にしていないんじゃないか。そんなふうに感じた。だから、あたしのような、16歳のおひとりさまにぴったりのプランなんてのは、用意されていなさそうだった。

と、世間から否定されているような気持ちを感じつつ、旅館と温泉の内湯(とコーヒー牛乳)をあきらめて、金沢市内の、温泉じゃない内湯つきの部屋をとった。

新幹線は、iPhone でサクッと予約すればいいと思っていたが、あたしがよく乗るのは、JR東海の東海道新幹線で、金沢まで行くのはJR東日本の北陸新幹線。予約のシステムがまったくちがう。北陸新幹線は、ちょうど今月からチケットレス乗車ができるサービスがはじまるそうで、結局、インターネットで予約はできたものの、券売機でチケットを発行して乗った。2020 年でやっとだよ。

きりがいいので、つづきはまた次に書こうと思う。

今日は、くもりの予報だった気がするけど、晴れてる。

カテゴリー
Uncategorized

ジャム

固形の果実入りジャムが苦手。

小学3年生あたりから朝食はパン派だった。家族はお米を食べていて、ときどき食パンだったが、いつしかあたしだけ食パンを食べる生活になっていた。

食パンには決まってマーガリンをぬって、トースターで焼いて、いちごジャムをつけて食べる。ジャムは果実入りの甘いやつ。母親が買ってくるものをそのまま使っていたから、自分で好んで食べていたわけじゃない。学生の忙しい朝の時間に、好きも嫌いもあまりかまっていられないのが、そのまま続いたんだと思う。

それから長い間、同じジャムでパンを食べてきて、さいきんようやく、今ごろになって、果実入りのジャムが苦手なことに気づいた。ジャムなのに崩れそうな固形が混じっていて、スプーンでパンにぬるときも延びなくてぬりにくいし、せっかくトーストされてきたのに、それを崩してしまうようで、なんだかパンに申し訳なくなる。食べるときも、そこだけ極端に味が濃い。それが良くてポジティブに果実入りにしているのだとは思うのだけど、あたしとしては、延ばしたジャムでじゅうぶん甘みは間に合ってるし、何より強烈な味はあまり好みじゃない。たとえば、ケチャップも苦手だったりする。

そろそろパン食、飽きてきたかも。

カテゴリー
Uncategorized

バウムクーヘン焼きは長生きしない

バウムクーヘン焼きは長生きしないのだそうだ。

精魂詰める作業とオーブンの直火を正面で胸に受けるからだと、ドイツでそう言われている。ウィキペディアに書いてある。

バウムクーヘンは、筒のかたちをしていて、中心にはドーナツみたいな穴があるドイツのケーキだ。断面には樹木の年輪のような模様がある。バーナーで炙る際にできる焼き色と内部の白い部分が層になって年輪のように見えるのだそうだ。

一般的な菓子店では扱っていないことが多く、日本では祝いの引き出物によく贈られる。ちょっといいお菓子だ。伝統的な製法が非常に特殊で、バウムクーヘン専用のオーブンや技能が必要らしい。

ところで、精魂詰める作業とインターネットの直火を正面で胸に受けつづけるブログは、長生きしないのだろうか。

伝統的な製法が非常に特殊で、一般的なインターネットでは扱われなくなったブログで、年輪のような焼き色の層ができるのだろうか。

今日のスタバは、すこし空いている。