2022年1月10日(月)いまの気持ち

ここに来るのも久しぶりだ。バウムクーヘン焼きはまだ生きている。

年が明けた。明けてからだろうか、ずっと今年はいい年になる気がしている。根拠はない。2021年は初詣のおみくじで凶を引いた。特別よいこともなかったが、わるいこともなかった。4:6といったところだろう。肩こりに悩まされることくらいはあったが、このご時世に大病なく、仕事はあり、食べていくに困らないほどにお金もある。十分じゃないか。凶の年を4:6で過ごせたのならよくやったと思う。そして、2022年の初詣で引いたおみくじは吉だった。吉は上から二番目である。これで根拠のなかった予感が強化された。今年はいい年になる。今年の干支は寅で、わたしは寅年である。初詣にいった日、友だちと話したのだ。「仕事もお金もある。特段困ることもない。なのになんで僕らはこんなにダメな感じで話しているのか。十分じゃないか」。

確定申告に備えて税金のしくみを知ったり、家を買うだの借りるだの、リノベーションだの、投資だの。仕事のあれこれやメディア、文化、インターネット、それらの話より社会のなかでどう生きていくのかがいつのまにかメインテーマになってきている。これはわたしの言うところの「世界と和解すること」にほかならないし、もしかしたら大人になることなのかもしれない。多くの人がもうとっくに過ぎてきた場所に、わたしは周回遅れでようやく辿り着いたのかもしれない。

これを書いたのはダメなわたしを感じるためではなくて、今年はいい年になると感じていることと同じように、社会とうまくやっていくことを前向きに考えられているからだ。仕方なくとか嫌々ではなく、社会とうまくやっていく取り組みをたのしんでいけそうな気がしていて、この前向きな気持ちをここに書くことで定着させておきたかったからだ。わたしのことだからそのうち、何か些細なことで「もうダメだ」と絶望する。そのとき、これを思い出せば、これを書いたときは確かに前向きだったと思い出すことができる。いや、そうではなくて、いまのわたしが、たしかにいまは、前向きである。その事実を何か形に残しておきたい気持ちなのだ。そう。

初詣の日、なぜ家を買わないのかと訊かれた。「可能性を閉じるようなことだからかもしれない」と答えて、その語気からそれが自分のなかで確からしいことを感じた。そうは言っても一旦どこかで閉じておくことで、次に向かうためになることもあるのかもしれない、そんなことを友だちと話した。自分はここまで、と閉じる。諦めなのか、一種の悟りか。もしくは実はここからが本編でした、の幕開けか。実はみんなこうやって閉じていくことで次へ次へと歩んでいる。これも根拠はない。が、しっくりくる。

しっかり向き合って確定申告をする。仕事もする。自分の経験をふりかえってこれから活かせることを組み立てる。引っ越しもする。「ゆっくりしてばかりはいられないよ」と少しだけ自分に圧をかけられるように。料理や音楽もしたい。

今年は転じていく。