インターネットから感じること、遊んでいるゲームの感想。そういったことは、すらすら言葉がでてくる。

でも、母親と話せることの引き出しを、ぼくはいくつ持っているだろう。

母親じゃなくていい。一市民としてこの世界に暮らしているだれかに、ぼくが話せることが、どれくらいあるだろうと考えを巡らせると、レパートリーの少ないレストランみたいだ、と思う。

前にこのブログに書いた、固形のジャムが苦手だという話。あれは、ちょうどいい気がする。

***

Aimer で「悲しみはオーロラに」。

カテゴリー: Blog

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA