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バウムクーヘン焼きは長生きしない Posts

9月20日(日)

朝、ベッドでツイッターを眺めていると、デイリーポータルZの編集長日記が流れてくる。林さん個人とデイリーのことを、林さんの視点からみているようで、すこしおもしろい。本当は有料コンテンツらしいのだが、直近の2週間分を無料公開しているものだ。リズムの感じがよくて、生活技巧の元ネタはこれなのではと考える。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観に新宿へ。時間を計算したつもりだったが、劇場に着くのが早すぎた。暇を過ごすために、近くのスタバへ。連休中の新宿だ。混雑で入れないだろうとだめもとだったが、ちらほら空席があった。ついてる。

映画は最初から最後まで泣かされっぱなしだった。マスクが濡れた。つーっと落ちてくる鼻水を拭くために、何度もマスクをとる。水と光と眼差しが、この作品の真骨頂だと思った。

新型コロナウイルス感染症の世界的な感染流行以降、はじめての劇場だった。スタッフは防護シールドと手袋、座席は前後左右に1席かならず空きがある配置に。この座席配置は、感染流行が収まってもつづけてほしい。スクリーンには、この劇場の換気システムの効果検証についての映像が流れていた。医療の専門家が立ち合い、その方のコメントで劇場内の3密が回避されていることを観客に知ってもらうためのものだ。スクリーンに換気システムがあり、そこから空気を吸い込んでいるらしい。スクリーンに換気システムって。

家に戻り、ゲームをつらつら進める。12時に寝た。

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いま、雑誌がすごくいい

  • まとまっている。ある枠組みのなかの情報・体験・雰囲気が、適量で
  • 品質が安定する。世界観を表せる写真、体温・声帯・声のある言葉
  • 繋がっていない。固定された紙と自分だけがそこにある。そこに印刷されているものは可変しない。更新されない。時間軸が固定

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ポッドキャストを3年やった

初回の配信は2017年8月13日。最新は先月7月27日に配信した第50回だ。エピソードナンバーは50だが、前後編やアンコールのエピソードを含めると、合計56のエピソードを配信した。

気づくと、3年やっていた。配信が滞ることもあったが、いまもやめるつもりはない。

はじめる目的や狙いはなかった。ただ遊びでブログをはじめるのと変わらない。今回はそれがポッドキャストだっただけだ。

はじめてみれば、仕事でもなければひとりで暇を潰すでもない活動が、少し新鮮だった。仕事とプライベートが曖昧になりがちな私の働きかたのなかで、それはフルマラソンの休憩所のような、階段の踊り場のような場所で、時間のながれが止まるような課外活動になった。

ゲストを迎えるスタイルもうまくフィットした。正直言うと、はじめはこのスタイルがうまくいく見通しはなかった。出たとこ勝負という感じで、考えもなしにはじめた。けれど、結果は成功だった。はじめて数回でわかった。みんな話す場を持っていないのだ。とりとめのないことやニュースへの感想、仕事に対する考え方など、そういうことを話す場があれば、どんどん喋る。話をするというのは、おもしろいのだ。

ゲストに来てくれる方々には、本当にありがたく思っている。中にはそれを仕事にしているような貴重な話をしてくれるゲストがいて、食事をごちそうするくらいのお礼はしたいのだが、それもときどきになってしまっている。気にしなくていいよと言ってくれはするのだが、それでも申し訳がないので、また食事に誘おうと思う。

できれば、ほかのポッドキャスト番組へのゲスト出演も増やしていきたい。先日、とある番組に出演させていただいて、とてもうれしかった。もし、番組をやっている方が読んでいるなら、ぜひご検討ください。

自分の番組も、もちろん今後もつづけようと思っている。その上でやりたいのが、ニュースの話を増やすことだ。私はいまの日本語圏のメディアは、テック系のニュース、できごとの踏み込んだ話を読めたり聞けたりする数が少ないと思っている。数が少なければ、それだけ視点の数が少なくなり、本来もっと興味深いはずの世界のできごとが楽しめなくなるんじゃないかと考えている。商業メディアになったり、有名になったりということは興味がないが、テックの世界はもっとおもしろくていいと思っている1ユーザーとして、そんなことを考えたりもする。

番組がどのように作られているのかも書こうと思ったが、力尽きるので、またそのうち。

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6月28日(日)

めざましは鳴ったが、気が向いたのは、9時を過ぎてからだった。ぎりぎりまだ食事をしてもいい時間だと思ったが、胃の調子を感じとり、見送る。

数時間、記憶がない。

11時半。見送った食事をする。目玉焼きに火を入れすぎ、黄身が固まったものになる。いつもは半熟なのだが、ほかも合わせた調理のリズムが狂うと、火の通り加減が変わる。結果の逆算に過程があり、理解できることに、日常の弾みがある。

12時。ポッドキャストの生収録を聞く。年に数回かの、イベントに合わせてのゲスト回だ。やる側が何を求められているのかをわかってやり、聞く側はそれをよろこぶ。しかし、少し刺激が欲しくなっていたかもしれない。

私のラジオは、少し休むかもしれない。ゲストが思いつかない。

夕方、所用で人と会う。10分ほどの、立ち話。じゃ、また。と言って別れたが、もう二度と会えない気がする。

夜。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を観る。おそらく公開日以来。何から何までが、完璧で、圧倒的で、支配される。感動させられる。今後50年ほどは、このシリーズを超える映像作品など作れるのだろうかと、見ながら思う。神という概念がしっくりくるのは、このシリーズだけだ。

見終わり、ソファで泥になりながら、この世界に魔法があるとしたら、それは物語と音楽と少女だなと、考えが至る。

流れたい。

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6月10日 念のためは必要ない

8時前に目がさめる。少し狂っていた睡眠と起床のリズムが戻ってきているかもしれない。

天気はすこぶるいい。風もあって、日差しとのバランスで体感気温が変わりそうだ。カーテンは閉めぎみにする。

家のまえにトラックのエンジン音。多分、うちに寄るなと予想し、当たった。本が届く。なんの本かは知らない。どきどきしながら封を開け、「バウムクーヘン」の文字が見える。笑った。にやにやした。そのまま本を写真に撮り、感謝を添えて、送り主へ。

贈りものは心をゆたかにする。

差し迫った用事も、書類もない。掃除をしたり、念のためと取っておいたガジェットの段ボールを処分したりする。メルカリを使わない私に念のためは必要ないと悟ったからだ。

それだけで1日が過ぎるとは思えないのだが、13時〜17時くらいまでは記憶がない。YouTube を眺めていたわけでもないのだけど、おぼえていない。

夕食は麻婆豆腐。月に1度は必ず食べている。いや、2度かも。さいきん使う豆腐を絹から木綿に変えた。中華料理人が麻婆豆腐には木綿のほうが合うと言っているのをテレビで見たからだ。事前の湯通しも必ずする。美味しい。

その後、YouTube でゲーム配信をやってみた。実況というほど喋らないが、途中ボソボソしながら。ゲームには、たくさん死ぬのが当たり前で、死にながら経験し、上達していく過程を楽しむ「死にゲー」と呼ばれる作品がある。今日からそれをはじめてみた。見事に、当たり前に、たくさん死ぬ。

夜。テレビにも YouTube にも飽き、ラジオにいく。時間だけならいちばん長く聞いているであろうパーソナリティの番組を聞いても、なんだか落ち着かない。波長が合わない感じだ。

諦めて、シャワーを浴び、いまこれを書き、このあと眠る。

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人のことならうまくできる

週末からつづけて、3人知り合いとそれぞれに長く話す。

仕事を中心にどう生きていくのか、なぜ今の生き方を選んだのか。気づいたらそうなっていたのか、そうならざるを得なかったのか。はたらく人としてどう生き残っていくのか、自分の仕事と事業・会社との噛み合いはどうなのか。昨今の感染症の影響もあり、どこに住むのか、パートナーとはどう付き合っていくのか。

生き方、仕事、恋愛、そういう話をさらさらとする。

そのなかで、「君は仕事でも恋愛でもこんなに明快に話せるのに、自分のことになるともやもやするよね」と言われたことが私には残った。3人のそれぞれに多かれ少なかれそう言われた気がする。

3人のうち1人からは、仕事で相談に乗ってほしいということで、自分の目の前の仕事と事業や会社のビジョンとの繋がりを対話で整理するのを手伝ってあげた。最初は本人も各論だけを話すので、なぜ、どうして、どういう流れでそうなったのかと訊けば、いまは組織がビジョンめいたものを策定したところで、足元も固まりきってはいないが、ビジョンに沿った行動をしていくためのテストをする段階の各論だったことがわかった。だとすると、そのテストで炙り出したかった結果は何で、その結果の数値や状態の評価指標を設ければいいんじゃないみたいな話をしたところ、ふに落ちたようだった。その人の能力が低いわけではなくて、忙しいと視界が狭くなるので、外野からふつうのことを話して整理してあげるだけで、人は急に動きだす。

しかし、自分のこととなるとできないのよね。感覚で生きてるからしょうがない。

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神田伯山を聞いている

講談という芸があること。話者が登場人物を演じる落語に対して、講談の話者はあくまで語り手であること。実力も人気も申し分なく、二つ目にも関わらずギャラが真打より高い講談師・神田雪之丞が、今年の2月、真打に昇進し、六代目 神田伯山を襲名したこと。こういうことをここ数日で知った。

爆笑問題・太田光さんと伯山さんがトークをするテレビ番組、今週はこれがおもしろい。

太田さんと伯山さんはそこそこ長い付き合いのようで、伯山さんはあの太田光に「こいつは人間国宝になる人間だから」と言わせるだけでなく、毒舌で悪態をつき、芸能界でも敵だらけな伯山さんの状況に、唯一助け舟を出すのが太田さんだ。前述したテレビ番組での太田さんは、ほかのテレビ番組でのときとは明らかにちがう表情を見せている。それを、伯山さんの芸に敬意をもっているんだなと思いながら、見ている。

前述した番組のアーカイブはすべて見終えてしまったので、今日は爆笑問題のラジオに神田伯山がゲスト出演した回を聞き、冠番組の「問わず語りの神田伯山」を聞きはじめた。ラジオでの一人喋りもおもしろい。伊集院光を崇拝しているのだが、一緒になった仕事のときのやり方を伊集院が気に入らず、「次はない」と言われているらしい。この件には本気で落ち込んでいるらしい。

1日に発表された第57回ギャラクシー賞で、ラジオ部門DJパーソナリティー賞を爆笑問題が、フロンティア賞を神田伯山の YouTube チャンネル「神田伯山ティービィー」が受賞した。爆笑問題のラジオ番組に出演した際、神田伯山はこの YouTube チャンネルを自分で「これ革命だと思うんすよ」と言っていた。

まあ、ご祝儀もあるよね。

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ハルの終わりに

明日から6月だ。どうやら春は5月までらしい。だから、明日からは夏だ。

ここのところは相変わらず新しい仕事の話もちょこちょこしていた(ありがとうございます)。しかし、合間は少しぐったりしていた。体調はいいし、気持ちも上向きなのだが、いつにも増して、何もしていなかった。

3月上旬から外出自粛なわけで、緊急事態宣言が全国的に解除されたとはいえ、状況が状況で、今も自粛はつづけている。そうもなれば、いよいよ YouTube を見漁ったり、ラジオを聞いたりしていれば、そのうちに夜がくる、そんな暮らしにどこか重みを感じるようになってきた。動画をみて、ゲームをし、本を読んで、眠くなればうたた寝をする。そういう暮らし方をいよいよ変えていくタイミングなのだと、体が教えてくれているのかもしれない。

『あつまれ どうぶつの森』をはじめてみた。発売されてすぐに話題になったので、興味はあったのだけど、私の傾向からするとストーリーの推進力の薄いゲームはつづかないので、どうしたもんかと長いこと眺めていた。

そのあいだも、伊集院は毎回ラジオで自分の島のことを話すし、少なくない知り合いも楽しく遊んでいるようだった。私と同じように眺めている側の友だちから、あれはおもしろいのかと聞かれたこともあった。はじめるきっかけは幾度もあったが、最終的に背中を押したのは坂本真綾さんだった。ラジオでさらっと遊んでいると話していたのだ。憧れってのは怖いね。そして自分の影響の受けやすさも好きなアーティストからとなれば悪い気はしないわけで、なるほどインフルエンサーマーケティングである(ちがう)。

私の島「すもものきままに島(とう)」では、まだ草むしりと釣り、昆虫採集をはじめたくらいのものだ。明日以降、たびたび遊ぶかどうか。あまり自信がない。

まだこのブログのリズムが掴めていない。しゃべり言葉で書いていたこれまでの書き方から、書き文字の書き方に変えるのはおもしろいと思っていたのだけど、気を抜くとすぐしゃべり脳で書いてしまう。今のこれも。それから更新頻度もまばらだ。まあいい。

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5月のある日

我が家の朝の卵料理は、100%目玉焼きだ。ゆで卵との勢力図などない。さらにその目玉焼きは四方をベーコンに囲まれた不落の要塞なのである。その地は良質な醤油にも恵まれ、それをわたしが毎日食べている。同じものを、同じように調理(調理と言えるのか?)し、同じようにいただく。繰り返しの美学である。

この美学をかたちづくっているのは、このベーコンエッグだけではない。マーガリンを塗ったトーストとお味噌汁、バニラヨーグルトも同じだ。そう、お味噌汁である。和も洋も混じっていい。食べるのはわたしだから、わたしがよければ、いいのだ。しかも、いまのわたしは朝食のなかで、そのお味噌汁がいちばんのお気に入りだ。先月くらいからなぜかお味噌汁にハマっている。実のところ、ほかの洋とあわせてスープ派だったのだが、とある日になんとなく買ってみたインスタントのお味噌汁を飲んでみたら、これがおいしい。インスタントのお味噌汁って、こんなにおいしかったかと、いまわたしは毎朝そのおいしさを心待ちにしている。しかし、昨日からストックを切らしているので、スーパーに買い出しに出かけたら、何はなくともお味噌汁だけは買おうと決めていた。これほどインスタントのお味噌汁を欲することがあるのかと、自分でもおかしくなる。

朝食をすませ、なんともなく、登録してあるインターネットの更新情報をチェックしはじめる。朝は前日の夜からタームが長いので、リフレッシュをかけてやるとちいさな滝くらいの勢いで更新情報が流れてくる。これも今となっては外の世界とわたしとを繋げてくれるものとして、しっかりと実のある役割がある。タブレットを抱えてソファーにだらっとなって、見る。今朝はとても興味深い長文エントリーが降ってきていて、旨味を噛みしめながら読んだ。複雑なものごとを、その複雑さを省略しないまま、しかしことごとの切り分けははっきりと、言いたいことが伝わるように、書く。これを見事に為し得ている文章だと尊敬した。わたしに同じことはできないなとは思ったが、練習?訓練?次第では、このようにテキストを使って、複雑なものごとを、読んだ人に伝えることができて、それを身につけられるかもしれないんだと、わたしには似合わないくらい前向きにも考えていた。

メールやらに目を通して、音楽を聞いて、その頃はもうお昼の12時のはずで、食事をしたのだが、そのあとをもうおぼえていない。そして、いまになって気づいたが、わたしが書こうとしていたのは5月12日のできごとだったが、これまで書いた目玉焼きやらお味噌汁やら文章やらのできごとは、5月13日のことだった。だとしたら5月12日はどこへ行ってしまったのか。もうおぼえていない。

5月13日の夕方は、スーパーに買い出しにでた。しかし結果から言うと、お味噌汁は買い忘れた。あれほどゼロだったストックを買い足せることに心待ちにしていたにも関わらず、自宅に帰り、買ってきたものをしまっている最中になるまで、忘れていた。明日の朝も、たまごスープだ。

夜、めずらしくLINEの通知が鳴る。仲のいい編集者からどうぶつの森をやってるかというメッセージだった。ああだこうだ話したあとになって「メトロポリタン美術館の絵をお部屋に飾れるらしく それでやってみたい となった」と隠すというほど大げさではないが、どうぶつの森が気になった本当の理由を話してくれた。 そういう入り口もあるか、と妙に納得する。そのあと、同じ部屋にもうひとり編集者が加わり、夢って不思議だねとか、変な夢をみたとか、そういう他愛のないメッセージのやりとりをたくさんしていたなか、そうしたら、ひとりからふと「いま この会話とこの時間 高校生の放課後みたい」と、ぽつんと、言葉がでた。なんだか、うれしくなった。何で繋がるでもないのに、繋がっているようで、むずむずにやけてしまう、他愛のない会話が、少し、尊かった。こんな大げさに思ったのは、わたしだけかもしれないけど。

しかし、ここまで記憶が抜け落ちたり、ものを忘れが多いのは、ちょっとふつうじゃない気がする。医者に見てもらったほうがいいのだろうか。怖い。

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5月11日 時間と音

何もせずに時間だけを進めるのが得意だ。

時間を進めるのは楽だ。何もせずとも時間は進む。気づいたら2時間が経っていた。私の人生を生きていると、そういう場面が頻繁に訪れる。なぜだろう。時間の感覚が薄いのか。1日1日を大切に生きていないのか。そもそも、1日1日を大切に生きるの意味がよくわかっていない。

なぜこんなことを書いたのかというと、ゲーム実況を流しながら、ときどきツイッターをみていたら1日が終わったからだ。少なくともお昼の12時あたりから、22時すぎまではそう過ごしていたと思う。

よく見かけるゲーム実況アカウントでFF7リメイクの実況を見ていた。自分でも一度クリアしているゲームだから、ネタバレは怖くない。一部、自分が通っていないルートや見ていないイベントは出てくるが、これくらいのネタバレは私ルールではOKなのだ。しかし、ゲーム実況というのは不思議なもので、なぜ見ているかと言われてもよくわからない。画面にたくさんサムネイルが並び、そのなかから何らかの理由でその動画を再生しはじめるのだが、それを選んだ理由を、自分の感覚にずれず、人に伝わるかたちの言葉にできる自信はない。なんとなくなのだ。

ひとつ思いつくなら、実況する声の音刺激が心地いいのかもしれない。人気を得るゲーム実況者がもつスキルのなかに声の良さはあると思う。話の内容がおもしろいとか、共感できるとか、その人が作っているその空間が楽しいとか、そのチャンネルを楽しみにする理由はたくさん考えられるが、声が良くてなんとなく聞いていてしまう、というのもある気がする。見ていたFF7リメイクの実況も、カットシーンがくれば感情移入して見るし、自分が苦労して突破したボスを余裕で倒して進んでいくようすを見れば、少しくらい苦戦しているところを見てみたいなんて悪魔な気持ちが湧いてきたりもするのだが、いちばん自分でしっくりくるそのチャンネルを見ている理由は、おもしろくもないがつまらなくもなく淡々と進んでいくことと、実況者の声が通低音のように途切れなくつづく刺激音として心地よいからだと思う。

日記って難しい。

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